'82年10月、これまで地味な中堅レスラーの1人に過ぎなかった長州が、同世代のスター藤波辰爾への「かませ犬」発言で大ブレーク。その後、日本中に空前の"革命戦士"長州力ブームを巻き起こし、プロレス第3次黄金時代を築く。
'84年にアニマルは間口らとともにジャパンプロレスを立ち上げ、主戦場をジャイアント馬場率いる全日本プロレスへと移し抗争を展開。日本テレビ「全日本プロレス中継」をゴールデンタイムへと復活させる原動力となる。
'87年に古巣である新日本プロレスに電撃復帰。「俺たちの時代」抗争を展開。 アントニオ猪木が第一線から退いた以後の団体の現場監督として90年代の新日本プロレス隆盛の時代を統率した。'98年1月4日東京ドームで現役生活にピリオド。
'00年に度重なる大仁田厚の挑発に乗り、横浜アリーナにおいて大仁田との有刺鉄線電流爆破マッチを敢行し現役復帰
2003年3月にWJプロレスを旗揚げ。崩壊後の2004年10月、新日本マットに突如乱入し宣戦布告。古巣のリングへUターン参戦を果たした。
新日本マットを主戦場とする傍ら、2006年より自ら主宰するRIKIPROの自主興行「LOCK UP」を始動させるなど、今でもプロレス界のど真ん中に君臨している。 |